最近とある二人の生徒の違いが顕著になってきました。
ふたりとも女の子で小5ですが、AちゃんとBちゃんとしましょう。実は、二人のノートを見ていると差があるのがわかりました。
問題を解いてノートもとっているのにイマイチ成績が伸びない
社会の授業中だとしましょう。
Aちゃんは、授業中、「1番の答えは何かな~?」と言われる前に、教科書を見てノートに回答し終えていました。そして、答えもちゃんと合っています。
しかし、授業が終わって一週間も経つと覚えていません。もちろんテストでも成績がとれません。なぜなのでしょうか?
Aちゃんのノートの特徴はこうです。
- 問題の答えだけが書かれている。周辺情報がない。
- 丸もつけておらず、鉛筆書きのまま。間違っていた場合は消しゴムで消して鉛筆で書きなおしている。
- すべて答えがあっているのでとても勉強したように見える。
- 無駄なものがないのでシンプルで美しい「気がしなくもない」。
- 答えしか書いていないので1コマの授業でノートを1ページしか消費していない。
では、Aちゃんと違ってやる気のあるBちゃんはどうでしょうか?
Bちゃんのノートの特徴はこうでした。
- 授業中に先生がメモした図や雑学もノートにとっている。
- 間違っていた問題の答えは赤ペンで直しているのでどこができなかったかよくわかる。
- ノートはカラーペンを数色使ってあちこち強調されている。
- 教科書や問題集に書いていない口頭で述べた補足情報もメモしているため、4ページも消費している。
ノートから推測できる子供の気持ち…
どう違うのでしょうか?
とりあえずノートには問題だけ解いてあって全部合っていればいい派
Aちゃんは、お父さんが厳しいそうで勉強に対してもやる気がありません。
おそらくご家庭でもノートチェックがあるのでしょう。
問題が解いてあって全部合っていればうるさく言われないだろうという気持ちがにじみ出ています…。
ちなみに、先生の側が「ここは宿題に出す問題で絶対に出てくるけど教科書に書いてないからノートとって」と言わないとめんどくさがって黒板をノートに写しません。
親切にそう言ってくれる先生であればいいですが、そうでなければどこからヒントを見つけるのでしょうか。
確かに、AちゃんはBちゃんよりも教科書を見ながら問題の穴埋めをするのは速いです。要領は良いのだと思います。
うるさくいわれないためにやらなければいけない最低限のこと「だけ」はやっています。
しかし、一見ちゃんとやっているように見えても、身についていないのは、その場限りうまく乗り切っておしまい、にしているからです。
私の場合は、Aちゃんが嫌がっても、理解するのに必要だからノートに写そうね、あとで見てわかるようにしようね、とAちゃんに指示するようにはしています。
後で綺麗に鉛筆で答えだけかいてあるノートを見ても、解答冊子となんの違いがあるのでしょうか?全然価値がありません。
Aちゃんの場合は、自らやる気を出して興味を持って勉強することが必要なのでしょう。
問題は、彼女はまだ幼いですから、父親のノートチェックを乗り越えてうるさく言われないことに重心がきてしまっています。
彼女にとっては、テストでできることや、覚えて答えられるようにすることではなく、親に叱られないことが重要なのです。
強制力をもって形だけやらせるのではなく、興味を持って楽しめるように学ばせることが重要です。特に5年では。
興味があるので答えに関係ないところも写す派
Bちゃんは好奇心があります。
数週間前まではAちゃんと同じくノートには答えしかかかなかったのですが、季節風のしくみや雨温図の読み方、人口ピラミッドなど図を黒板で多用して解説したところ、文字だけではなく図を書いてカラーペンで強調することが楽しかったようです。
持参している教科書と問題集だけでなく、地理資料集も貸したところ、北九州工業地域の雑学で八幡製鉄所の話をした時に自分で九州のページを開いて八幡市を見つけていました。
「先生ー!八幡市があったー!ここに(製鉄所が)あったのー?」と見せてくれた時には、好奇心があるというのは素晴らしいことだなとしみじみ感じました。
特に女の子はノートを作るのが楽しいと思う子が多いので、文字だけでなく図や絵を多めに使った板書を行い、それをノートに写すように指示をすると、効果があることが多いです。
男の子はめんどくさがって写さないことも多いので、そこは女の子とは違います。
幼い子供のやる気は色んな要素に左右される
大人ではないので、自分でやる気をコントロールできる子供は少ないです。
大人でさえ誘惑に負けるのに、生まれて10年ちょっとしか立っていない子供に対して、大人にさえできないことをやるように言うのは酷だと私は思うのです。
しかし、親は自分ができない・やらないのに子供には求める人が多い。
そしてその反対で、自分ができるからって子供にも大人と同じクオリティを求める大人もいるのです。
どちらもダメだと私は声を大きくして言いたい。
子供に対する大人の「よくない」期待の例
【Xタイプ:自分はやらないのに子供に求める型の大人】
例)自分はテレビを見ているのに、子供に勉強しなさいと言う。
例)自分は子供の時勉強をサボっていたのに、まじめにやりなさいと言う。
例)お母さんはできなかったからあなたにはできるようになってほしいと願望を押し付ける。
【Yタイプ:自分ができたので当然子供にも求める型の大人】
例)40歳以上の自分がいまできることは10歳ちょっとの子供にもできると思っている。
例)自分が子供の頃にはこんなもの簡単にできていた、など昔の自分と今の自分の子供を比較する。
例)成績や態度が悪いと、子供本人から理由を聞かずに子供を責める
ちなみに大変なことに、うちの母はXタイプ、うちの父はYタイプでした。
なんてめんどくさい!とんでもなかったです。
母親は自分はできないのにやれというし、父親は自分ができたのでこんなものできて当然というのです。
ダブルスタンダード…おそろしい…。
まあうちの家のことはどうでもいいのです。悪例として出したまでです。
では子供のやる気はどうやったら保てるのでしょうか?
「二人三脚」の精神を忘れずに
子供に寄り添いましょう。
なぜやりたくないのか、なぜやる気が無いのか。なぜ楽しくないのか。
「なんでなの?」と責めてはいけません。子供は嘘をついて言い訳をしてしまいます。
子供の言い訳を論破してはいけない
そして子供の拙い言い訳をさらに論破する大人がいますが、これもよくありません。
ほらお前が間違っていた、こちらが正しい、と子供に示しても、権力差を味わって悲しくグレるだけです。
過去には、会社で社長さんをしているお母さんが、成果のでない部下を叱るのと同じように娘を教育していたので娘は小6にして暗い顔をしてグレていたという例もありました。
権力の差があって仕方ないからってそれでやる気はでますか?
上司に「ほらみろ俺が正しいだろ黙って従えよ」と言われてやる気が出ますか?
それで出る人は稀有でしょう…。よほどの反骨精神があるとしか思えません…。
親は子供の「安全基地」になろう
大変むずかしいことではありますが、子供の気持ちを理解することが大切です。
こうあってほしいと最初に我が願望をおくのではなく、いまの自分の子供と向き合いましょう。
子供も勉強は大変です。だからこそ、親は大変であることを理解して一番の安全基地になってあげてほしいと思います。
あと、ときどき、親が自分でそうあることができないからといって先生に何もかも求めてクレームを入れる方がいますが、それは根本的解決になりません。
(子供に言うことを聞かせてください、私では無理なので先生なんとかしてください、そのためにお金払ってるんですから…のようなクレーム。)
親に無理なのに時給1100~1500円程度の先生に何を強いるんじゃー!笑
※スゴイ特化した塾なら時給4000出すところもありますが、普通のその辺のチェーン塾はコンビニバイト並の時給だと思ってください。
※払っている料金の3/4は教室が吸っています。よって講師にはお値段通りを期待しないでください。
先生は塾にいる間しか接しないのですから、圧倒的に時間が少ないです。
接する時間が長い親御さんのほうから少しずつ態度をかえてみてください。
(あ、もちろんいけない先生の場合はちゃんとクレームをいれてくださいね!!)