先生や親がやるべきこととか、立つべき立場

この時期だからこそ語れることがある。それは、一般的な教育論です。小手先のテクニックではなくて、教育論。先生や親がやるべきこととか、立つべき立場ってなんだと思いますか。

ま~そんないきなり抽象的なこと考えても浮かんでこないと思うので、私の話をしたいと思います。

正直申し上げましょう。私は、新しい生徒を預かるとき、「うわ~今度の生徒は手が掛からなくて頭のいい美味しい生徒がいいな~」と常に思っていますが、大体それが叶うことはありません。

私にとっての美味しい生徒とは
・「手が掛からなくて」=自ら学習動機を見つけて向上心を持っている、
・「頭のいい」=偏差値が元々60以上あり、基礎や学習習慣をたたき込む必要が無く、こちらがはっとするようなレベルが高い楽しい質問をしてくれる、
・「美味しい」生徒=進学に不安がなく、ご家庭の不和への介入をしたりしなくて済むのでサービス残業が少なくて済む生徒
です。

どうです、こんな人がそもそも塾に来るはずがないでしょう。来たらレアです。掴んで離しません。絶対離しません。いるだけで先生の評価を底上げしてくれる稼ぎ頭ですからね、絶対に離しません。

で、何が言いたいかというと、大体、上司によって私の元には、これと反対の「とても手が掛かって」「基礎や学習習慣がなってない」「美味しくない生徒」が送り込まれてきます。これらの要素が及び(and)であることもあればまたは(or)であることもあります。全部andだと一番給料的に美味しくないです。せめてどこか一個はあてはまらないとありがたいです。

この大変な生徒たちをどうやって、美味しい生徒へとランクアップさせていくのかが、結局、先生として辞めずに気力を保っていられるかに繋がるんですよ。

親もそうでしょう。我が子が手が掛かる方が可愛いと思うかもしれませんが、もうちょっと自発的に勉強してくれたらなーとか、お手伝いしてくれたらなーとか、朝ちゃんと起きてくれたらなーとか思うでしょ。先生は血が繋がってないし、ましてや産んでもないのですから、少ないお給金で手の掛かる子供を面倒見ているのは、それでもその仕事が好きだからか、できないやつに手を差し伸べるのをやめられないお人好しだからか、時間をかけて人が成長するのを見るのが楽しみな奇特なやつかです。私は後ろ二つですね。

つまり、手の掛かる生徒を預かって、こいつの人生全部面倒みてやろうとかこいつを丸ごと背負ってやろうと考えるのではなく、その子が一人の生きた人間であることを意識し、本人にやる気を出してもらって、こちらはアドバイスする程度で美味しい汁を吸わせてもらえるようにするのが、私の最終目的なのです。自発的にやる気を出して勉強してくれるようになれば、こちらとしては一番ありがたいじゃないですか。だから、先生として目指すべきことは、子供のやる気を出すことだと思うのです。

子供のやる気

やる気については散々いろんなことを書き散らしてきましたが、そもそも「やる気」とは何ぞや。

少なくとも、やる気のある子は、生き生きしています。大体、分類するとこうです。

・「将来にやりたいことが少しでもあって」「前向きに努力していて向上心がある」「成績の良い」子
・「将来にやりたいことが少しでもあって」「前向きに努力していて向上心がある」が「成績が追いついてこない」子
・「将来にやりたいことが少しでもある」が「努力が足りず」「成績が追いついてこない」子
・「将来にやりたいことがわからない」から「努力もしない」し「成績もない」子

上ほど美味しく下ほど不味いです。給料的に不味いという意味です。

まず、一番下の「将来にやりたいことがわからない」から「努力もしない」し「成績もない」子は、無気力に近いです。自分に自信がないことも多いし、なんとなく今を生きていて、適当に遊んでだらけて、できればやりたくないことはやりたくないと思っています。
この子たちを少しでも前に向けるためには、「やりたいこと」「やってみたいこと」を口に出させることからはじめます。将来の夢がないならば、どんなことが好きなのか、その好きなことを否定せずに受け止めてあげて、長所を伸ばしてやります。長所がなければ、何かひとつでもできるようにしてやれば、「できるから楽しい」とか「できるから嫌いじゃない」になります。
最終手段として、飴と鞭の鞭を持って彼らをコントロールするという方法もあります。しかし、これは上手く行けばその場を乗り越えられますが、上手く行かない場合も多いです。例えば、「見捨てられる恐怖」とか、「叱られる恐怖」とか、そういう「恐怖」による支配は、短期間その人物を追い込むのには向いていますが、それは、その人物の短期間においてしか効果を発揮しません。結局、本人が気付いて心根を入れ替えない限り、かわらないのです。こちらから恐怖で常に追い立ててやるのでは意味がないと思います。

次に、多少好きなことややりたいことを見つけてはいるがいまいちやる気が出ず、努力しないし成績が追いつかない子がいます。これは、自己管理能力がないか、現在やってることが努力や成績よりも美味しいからそちらに流れてしまっているのです。例えば、ゲームや部活にのめりこんで成績を完全におろそかにしている子は、そちらを言い訳にしているのであって、ゲームや部活をしていても成績を保っている子はそれなりにバランスよくやっているのです。ではどうすればよいのか?それは、努力や成績をあげることの優先順位を上げることが必要となります。目の前のゲームや部活をゼロにしろとはいいませんが、割く時間の割合を増やすなど、優先順位を上げることが必要です。勿論、その本人の心の中で、ね。
では本人の心の中での優先順位とはどうやって決まるのでしょうか。私が知る限りでは、プライドと大きく関わっているようです。こんな成績はとりたくない、みんなに馬鹿にされたくない、親にうるさくいわれたくない、なんとしても今年受からなければならない…そういった本人の譲れないモノ、これが優先順位に大きく影響を与えています。
ですから、本人の意志を尊重し、育てていく過程で、譲れないものが生まれれば、優先順位は自ずと決まっていくと思います。

さて、「将来にやりたいことが少しでもあって」「前向きに努力していて向上心がある」が「成績が追いついてこない」子はどうでしょうか。これは、多少譲れないものを持っていて、やる気もあり、それなりにやっていますが、やはり理想には届いていないタイプです。このタイプの場合、心根を入れ替えろというより、むしろ、生活状況を見て、勉強時間を確保しているのか、効率よく勉強をしているのか、ここをチェックする必要があります。勉強したくないわけではないのですが、部活が忙しいとか、学校に拘束されるとか、部活が終わると眠くてダメとか、そういうことが殆どです。すると、勉強時間があれば…とか、もっと効率よくテスト対策ができれば…とか、暗記テクニックがあれば…、とかそういう話をするのが一番良いです。
私がこの状況の時は、書店にいって、片っ端から暗記法や勉強法の本を読みあさっていました。自分が世界史において非効率的な勉強をしていたことはわかっていたので、もっと短時間で効率のよい方法はないかと思ったのです。部活をやめろとか、疲れても寝ずに勉強しろとか、言うのは簡単ですが、実際にやるのはとても難しいです。だったらせめて、もっと楽に美味しく勉強できないかを考える方がよくないですか?私はそういうの、好きです。勉強した時間数を自慢し合うような努力一辺倒主義は良くないと思います。真に勉強している人間は、どれだけの時間勉強したかより、どれだけのことを成し遂げたかを気にすると思います。

「将来にやりたいことが少しでもあって」「前向きに努力していて向上心がある」「成績の良い」子については特に語る必要はないと思いますが、困ったとき相談できて、アドバイスをくれる人が近くにいたら怖くないですね。それだけだと思います。

というわけで、

先生とか親とかがやるべきこと、とるべき立場、それは、

恐怖で一時的に子供を追い立てることではなく、

子供を一人の人間として認め、「やりたいこと」を口にすることを許し、自立した自己を持つように促して「譲れないもの」を持たせ、自発的に前に向かって走って行けと応援することです。

そして、迷って困って悩んでいたら、下らない話だと決めつけず、見捨てずに話を聞いてやる。これが、先に生きてきた者たる、「先生」のすることだと、私は思っています。

どうでしょう、参考になりましたか?