最近、従来の「こうするのが成功の道」というモノが崩れつつあります。
ドラゴン桜も2の連載が始まっていて、1とは世代や教育方法の違う展開になっていてとても興味深いです。
さて、そんな時代に
いい中学、いい高校、いい大学、いい会社に入る意味って、なんだと思いますか?
この答えは人によって違うと思うし、生きている間に変わったりします。
ちょっと軽く心理テスト的に考えてみましょう。
いい学校=将来安泰?
これが一番多い答えだと思います。
将来安泰という言葉を嫌がる人のほうが少ないでしょう。
論理的には「いい学校→いい会社→いい給料=将来困らない」という式ですよね。
じゃあ、これが成り立たない場合はどういう状況の場合でしょうか?
いい学校に入ったのにいい会社に入れなかった場合。
いい会社だと思ったのに実は合わない会社でストレスがすごかった場合。
こういう可能性もありますよね。
だから、必ずしもいい学校→いい会社→将来安泰というわけではない。
しかし、大学によっては会社に入社の枠すらないところもあるから、いい大学に行くに越したことはないわけです。
つまり、ドラゴン桜も言うように、
「いい学校」に入ることは、プラチナの「チケットを買う」のと同じなのです。
プラチナチケットを買って、質を保つ
舞台やミュージカルの座席を想像しましょう。
Sのチケットだったら、きっと公演が見やすい位置で、席も座りやすいに違いありません。
それがCのチケットだったら、舞台が遠くて小さくて、席ももしかしたらパイプ椅子では?
Sでも期待はずれはあるかもしれないけどCよりはブレ幅がないと思うでしょう。
これと同じです。
いい大学だったら、きっといい企業にコネがたくさんあって、履歴書でも見栄えが良いし授業も質が高い。
Fランク大学だったら、説明会の枠さえないことも多くて、履歴書でも突っ込まれるし授業も中学レベルのことがある。
いい大学でも授業や将来にハズレはあるかもしれないけど、Fランよりは聞こえも環境も良いはずでしょう。
ドラゴン桜1の方で、なぜ東大にいくのか?東大に入ってどうするのか?と生徒に聞かれた桜木(先生)は、
東大というプラチナチケットを手にするのだから何でもやればいい、入ってから自分で考えろというようなことを言います。
良い学校に入ることは、
将来にできることの可能性を広げ、ブレ幅を減らし、一定以上の質を保証できるのです。
良い学校に入ることのは…将来を狭めるために入るのではなく、広げるために入るのです。
「こうするのが成功」方式の教育理念の罠
子供をレールに乗せるのが親の役目だと私は思っていますが、乗換駅を指定して終着駅までうるさく叩き込むのは親の役目ではないと思っています。
こうするのが成功でそれ以外はない!!というような追い込み方をされて育った子供は、ぽきっと折れてしまうことが多くあります。
会社で過労死する方も、逃げ場がないと思ってその仕事を必死にやって倒れる方が多いのです。
幼い頃、親に認めてもらいたくて必死に「これが正解」というものをこなしてきた人ほど、頑張りすぎて折れるのです。
ですから、大人になってからこそ、
自分にはこういう能力があって、いろんな事を自分で選択してできるんだ!
というプラチナチケットの考え方が大切になってきます。
チケットを買うということは、その道しかありえないのではなくて、入場券を手にしているだけなのです。
「コレ以外ない」ではなく「これもあれもやってもいい」という許可なのです。
おわりに
「こうすると成功する」というテクニックは大切ですが、
私は、いい学校に入る意味は、入ったら終わりなのではなく、入ったあとに選ぶ自由が与えられるところにあるべきだと思います(私見です)。
だから、いい学校に入りたい学生には、そこに入ってどんな生活をエンジョイしたいのかを妄想してもらっています。
妄想が具体的に上手くいってた子ほど、大学に入ったあと、水を得た魚のように楽しそうに暮らしています。
とにかくこの大学以上にはいらなければ行けないんだ、入ったらこういう将来を描かなければならないんだ、と人生設計に基づいて行動している子は、大学に通っていてもなんか早足で歩いているものです。
これからの時代に大切なのは人生設計ではなく、どんな人生になっても柔軟に対応して前向きに生きられる底力ではないでしょうか?