期待という名の落とし穴~塾選び・先生選びのコツ~

本日は、「期待という名の落とし穴」について語りたいと思います。

さて、普段、子供達を見ておりますと、その背中に、親御さんの期待という名の厳しい眼差しが透けて見える子が少なくありません。当然、可愛い我が子、期待の我が子ですから、期待しない方が希であるとおもいます。まあ、実の所、我が子への期待以上に、我々教育関係者への期待が強く内在しているのだと思います。

この間、後輩が担当していた生徒のやる気があがってきたところではあるが成績にまだ反映されていなかったので、親御さんがしびれをきらして、別の塾へいかせることを決めてしまったという話を聞きました。
どうでしょうか。これを聞いて、皆様はなんと思われるでしょうか。

1,その通りだ。結果が出ないのだからこの塾ではダメに違いない。
2,何か理由があるのだろうからまずは話を聞いてみよう。
3,先生と子供を信じて待ってみよう。

そうですね、まずこの1~3のどれを選ぶかには、その塾、その先生との信用――言い換えれば絆の強さが大きく影響してきます。

2や3を迷わず選択する親御さんはその塾やその先生を信用していると言えます。1の親御さんは、こういってはなんですが、子供のせいではなく塾のせいにしているので、ぶっちゃけどこの塾へいっても同じことになる可能性が高く、塾ジプシーになる可能性も否めません。

では、塾や先生との信頼関係、それを通して我が子を信用するにはどうしたらよいのでしょうか?

塾選ぶ際の心構えについて

世の中、高いものには理由があります。必ずしも良いとは限りませんが、良いことが多いです。それに対し、低くても良いものに出会うこともあります。しかし、低くて良いものに出会うためには、それを探す努力を惜しまず諦めず、最後は運です。

例えばですが、プロの難関大卒の中学受験指導経験者に習いたいのであれば、高くても東大家庭教師会のコース一覧を見れば一目瞭然でしょう。しかし、値段は割高です。それに対し、どこの馬の骨かもわからぬ大学生講師を雇っている塾であればそれなりにリーズナブルに押さえられるでしょう。結局そこは、距離の近さや値段との相談となります。しかし、塾に通わせているから料金ほどのことはとろうと、元はとろうと思ってらっしゃることでしょう。

実際のところを申し上げますと、雇われ講師というのは、かならず雇い主に中間搾取されてますから、例えば、親御さんが塾に4000円払っていたとして、4000円の価値のある授業を求めていたとしても、雇われ講師が時給1000円で雇われていれば、その講師は時給1000円に値するサービスを提供しても文句を言われる筋合いはないのです。ですから、雇われ講師に対しては、払った金額の半分以下のクオリティが達成されていれば十分だと思っておかなければなりません。もし、払った金額通りのクオリティを求めるのであれば、個人で良き家庭教師を見つけて契約してもらうほかありません。

絶望するようなことばかり申し上げていますが、結局、塾を選んでどうすればよいのでしょうか。

簡単です。講師は十人十色ですから、納得のいく講師に出会うまで担当を変え続ければ良いのです。

ここで、担当を変えないでいると、良きカモであると思われる可能性も高いですし、担当を変えずに辛抱強く待っていきなり爆発してやめると言い出すとまず誰よりも子供がかわいそうです。個別指導塾であれば、子供が気に入ることに加え、親である自分と話しても有益になるような先生を頑張って探しましょう。集団塾であれば、レベルの高いクラスほど良い先生がつく可能性も高いので、頑張って上を目指すのがよいでしょう。それでも、集団塾の先生に不満があるのであれば、DVD授業のようにクオリティが保証されている塾を選ぶほかありません。

集団塾の先生に自分の子ひとりを細かく見て貰おうと思っているのであればそれは大きな間違いです。学校の先生に自分の子ひとりを細かく見てもらうのも実際は不可能です。なぜ不可能だと思いますか。30人の人間全員に均等に高いクオリティのきめ細やかな指導を個別に行うことは、集団塾や学校の先生には物理的に不可能でしょう。身体が足りません。では、集団塾を選ぶ際はどうすればよいのでしょうか。

そもそも集団塾に個別的な面倒見の良さを求めることが間違っているのです。集団塾は、自ら学ぼうとする者に質の高い授業を提供することが仕事なのです。ですから、講義する講師の授業内容や授業の質に不満を抱くことは可能でも、面倒見まで講師に要求することは彼らの業務外なのです。

それでも集団塾でよく面倒を見て貰いたいのであれば、チューター制度や自習室制度がどれほど充実しているかをチェックしましょう。わからないところがあったらチューターの先生にいつでも聞いて良い、成績が悪い子はチューターの先生が呼び出して面倒を見てくれる、などがあるかどうか、です。

さて、塾選びはこの辺にして、先生とのつきあい方について述べることにしましょう。

塾や先生とのつきあい方、その姿勢

内部関係者として、様々なご家庭がいるので、簡単に紹介しますと

1,毎回指導内容を親から指示する上、指示に沿わないと小まめに電話や手紙を寄越す親
2,子供の成績が良いうちは何も言わないが、悪いと急に辞めさせると言い出す親
3,静かに非協力的な親
4,子供の成績はどうであれ、子供が気に入っているなら通わせておこうと思う親。良ければ礼をいい、悪ければ疑問を持つ親。

大体こんな感じで分類できると思います。

1は塾的にはかなり美味しくないお客様です。塾側としては「お預かりして教育している」わけですから、お預かりしているのに完全に親からの指示にしたがって仕事をしなければならないとなると、指示や文句が多くこっちにまったく裁量がないのですから、ぶっちゃけあんたが上司かよそこまで口を出してくるなら自分で教えろよって感じの気分になりますよね。塾にはその塾のやり方があります。そのやり方でないやり方をさせようというのなら、別の塾を選択するのが良いと思います。ただ、子供と親の仲が良くて塾との仲も良好だと、次第に指示が減って1から4へと変化することが多いです。

2はハラハラさせる親です。成績が上がって当然と思っており、子供がいくというからいかせているが成績が悪いと「ほらみなさいいくだけムダでしょ」と経費のムダ使いとばかりに辞めさせるチャンスを狙っていることもあります。こういうご家庭の場合、そもそもこういっちゃ悪いですが、ご家庭で子供のやる気を奪っているケースが多く見られます。その割に塾ではやる気と成績の両方を求めてきます。つまり、塾を託児所代わりにしているか、塾を自分が教育しない代わりに教育してくれる代行者だと思ってることが多く見られます。3と兼ねている場合も多く、塾があって勉強している子供を置いて旅行に行ったりすることもあります。この2が4に変化するためには、子供が自発的な意志を持って生きるようになるか、子供と塾、子供と先生との絆が必要になります。

3は一番よみにくいタイプです。仕事が忙しくて子供の成績から目を背けている親も多いです。そして、子供の成績が悪いのは自分のせいではなく塾のせいだとすることも多いです。電話をかけてもなかなか繋がらず、話しても心配はしていても、子供が宿題をやっている横で自分がテレビをみるのをやめようという気がないことも多いです。子供に伸びて欲しいと思っていると言うよりは、自分に面倒をかけない子であってくれと思っているようです。このタイプが4になるためには、まず子供と親を引き離すことが必要になります。子供を自習室に滞在させ、塾や先生は自分が勉強することを応援してくれるから頑張ってもいいんだと思わせられるようになれば、子供が家以外のどこかで勝手に頑張ってる姿を見て親もそれなりに不安を抱えつつもとりあえず満足します。

4は理想的で付き合いやすい親です。まず子供が気に入っているかどうか、次に子供の成績がどうかを見ます。こういう親の場合、子供がおしゃべりで、授業中に聞いた話をやたら家でもペラペラと喋るので親子仲はいいことが多いです。それにより、会ったことがなくても先生に親近感を感じていたり、会ったことがなくても先生の好きな食べ物を知っていたり、面談には笑顔で来て、一言目は「いつも子供がお世話になっております」が多いです。こういう家庭の場合、先生を信用しているので、「親の言うことは反抗期で聞かないですが、先生のいうことは聞くので、後はもうよろしくお願いします」といい意味で丸投げしてくださることが多いです。

個人的には4が一番理想です。その段階に行き着くまで、我々教える側の人間の努力も必ず必要です。努力というか、性格や性質や…いろんなこと、総合ですね。

ただ、先生側としても、親側としても、覚えておきたいこと、それは、

1,子供の教育の最終責任者は親であること
2,塾に入る前段階の教育の責任は親にあること
3,親もお金を払っているし、先生も企業に搾取されつつ一部のお給金をもらってやっているということ
4,先生も聖人ではなく人間で、十人十色であること。合わなければまず違う先生に相談すること
5,誰よりも主役は子供であり、子供がやる気を出して自分から学習しようとすることが一番大切であること

これです。

期待というのは言葉は非常に美しいですが、美しくない言い方をすると、「理想の押しつけ」です。子供にも、先生にも、塾にも、そして親にも、期待をするのではなく、その人の良心を持って誠意を尽くしてくれることを願うべきであって、期待という名の理想の押しつけをせず、してくれたことを当然と思わず礼を言い、してほしいことは黙っているのでは無く素直に伝えてみましょう。

塾と先生、子供と親だけに留まらないことだと、思います。