「できない」や「無理」について。
前、わからないはやめようという記事を書いた。では、今回は「できない」について。
「できない」「無理」とは、すなわちcannotである。んなことわかってると皆さんは思うだろう。では、「できない」と「わからない」はどう違うと思う?「できない」「無理」はcannot、「わからない」はdon’t understandである。つまり――
「できない」「無理」=「不可能」
「わからない」=「理解すれば可能」
という大きな違いがあると私は思う。
つまり、「できない」「無理」と叫んでしまうことは、「私には不可能である」と宣言していることになるのだ。そんなことで良いのだろうか。せめてそこは「わからない」にしてほしいものである。
なぜ人は簡単に「できない」「無理」と言ってしまうのだろうか?その心理は一体何なんだろうか…?
ちなみに、「できない」「無理」を言いたくない方の心理ならばよくわかる。私がその手の人間だからである。よく説明できるし、そうは思わない人でも言いたくない側の理屈は理解できると思う。
できないと言いたくない側:”私の辞書に不可能という言葉は存在しない”
上記名言はナポレオンのものと言われている。「できない」を言いたくない人間はこの中二病めいた言葉にニヤリとしてしまうだろう。この台詞はそれくらいカッコいい。
私はこの言葉がとても好きだし、何より、「絶対無理だよ!やめなよ!」と周りが言うほどやってみたくなる(ダメな)人間だ。だって、周りが無理だと思っているけれど自分は無理では無いと思っていて、それが実行可能なことであったら凄くかっこいいではないか。
こういう考えは正直な話、男性的な思考であって女性的な思考では無い。しかし、戦後、西欧的な性的平等が進んで男女雇用機会均等法も当然のものとなった。現代においては、もはや小学生は男女のランドセルの色も出席番号順も大して気にしなくなった。最近は女子生徒にも「こっちのほうがかっこいいじゃん?!」と言うと釣れるようになってきた。女子の男子化である。
できないを言いたくない心理として、自分を低く見せたくないという気持ちもある。できませんを簡単に言ってしまえば、自分の価値は下がる。なら他の人に頼むからいい、になってしまう。「(できるかわかりませんが)やらせてください」と言っていかないと仕事はもらえなくなってしまうのである。
できないと言ってしまう心理:回避可能性
できない!無理無理!と言ってしまう人には、若干の偏見もあるが、甘やかされて育った人が多いなと思ってしまう。できない!無理!といえば、「そう?じゃあこれならどう?」と違う提案をされるか、その無理なもの自体が向かってこなくなる可能性がある。嫌なものは拒否すれば避けられる、というのは当然のコミュニケーションなのだけれど、人間、嫌なことでもやらなければならないときはある。特に、大人になると、増えてくるものだ。
私は、できなかろうが無理だろうが、できるまで(やり方をまるっと暗記して再現するまで)やらされていたし、食べられないと言っても食べろと言われて丸呑みしてくぐり抜けるような育ち方をしてきたから、できませんと言うことを幼い頃から諦めていたのかもしれない。だから、今でも、頼まれると嫌だと言えないほうが多いし、自分のキャパシティ的に不可能では無いと思ったら引き受けることが多い。よく言えば万能だし、悪く言えば器用貧乏だ。
さて、となるとやはり、「できない」といってしまうのは、それから逃げるためでもあるし、手加減してくれと言うサインでもあるのかもしれない。「できます」と言ってしまうとハードルは高くなる。「できません」ならば、ちょっとできただけですごいね!になる。確かに「できません」と言っておく方が集団の中で荒波立てずに暮らしたい日本人としては良いのかも知れないな…
生き方の選択:「とりあえずやってみる」
「できません」を言う方が自分の理想の生き方に即しているならば其れでいいと思う。しかし、その生き方ではダメだと思っているならば、「できません」を「やってみます」に変えてみるだけで随分違うと思う。
さあ、「やってみます(できるかわからないけど)」と言ってみよう。誰も最初からできるとは宣言していない。逃げ道は用意されている。やってみてできるならやればいいではないか。やるまえからできませんと言って逃げる必要はない。できなかったら「テヘ☆やってみたけどやっぱり無理だった♪ペロ」みたいな台詞を吐いてしまえばいい。最初から諦めているよりはよっぽどいい。
そこなのだ。自分の可能性を狭めて、隣の芝生が青く見えて仕方が無い状態になってしまっているならば、一歩を踏み出してみれば良い。寝る前に「わたしはできる」を繰り返し呟いて寝る所から始めれば良い。
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