今回、20年近く前の日能研の本科のスタイルと現在の本科のスタイルの違いについて思うことがあって、
「計算マスター」と「計算と漢字」の記事で、おまけ部分に書いていたものを加筆して書きました。
解説に載っていた方法にこだわったせいでできなかった子の例
とある男の子は、やたら他の先生から「この子はできないので丁寧におしえてやってください」と言われていました。
ふーむどれどれ、その子のノートを見てみると、過不足算のために、一生懸命図を書いています。
しかし、図はなんとなくできていますが、その図には魂がありません(詩的な表現ですが)。
図は、ツールなのです。フライパンと同じです。
料理をするためにフライパンを用いているのであって、フライパンでなければ料理ができないわけではないのです。
お鍋でもできますよね?レンジでもできますよね?
絶対フライパンじゃないといけないなんてことないですよね?
その子は、図を指示された通りにかくことに集中してしまい、
なんのために図をかき、どこをみればなにがわかるのかがわかっていませんでした。
結局、その子には図でない方法を教えました。
「1人に5本ずつと、1人に3本ずつなら、1人で何本の差ができる?」→「2本」。
「じゃあ、5本のとき1本足りなくて、3本のとき9本余っていたら、人間は何人いるの?」→「5のときと3のときで10差があるから、10÷2で5人!」。
そうなのです。これをわかりやすくしたものが図にすぎなくて、むしろその子は図ではわからなかった。
理論のほうではできていたのに、図のせいでできなくなっていた。
図を理解していなかったから、形だけの図しか書くことが出来なかった。
この子の場合、「考えよう」で推奨されていた図を使うことより、自分に合う考え方で解くことが大切でした。
これは文章題によくある盲点で、鶴亀算や食塩水もそうです。
とにかく基本的な問題を解かせるために、図と形だけ教えます。
例題レベルは解くことが出来ても、少しいじられるとできなくなりますし、応用なんて遠い話です。
「てんびん」の罠
食塩水で毎年問題だと思うのは、下のクラスにとにかく点数をとらせるために「てんびん」を用いる手法です。
天秤は、比を使って簡単に求める方法ですが、これをメインに使ってしまうと、三つ以上の食塩水が出てきた場合や、入れ替えたり混ぜたり複雑な計算になるとお手上げになってしまいます。
あくまで、簡単にするためのツールにすぎないのです。
考え方がわかっている子が楽するために使うならよいですが、図やツールありきで押しつけて教育することは、間違いなく子供の理解や成長を阻害するでしょう。
「考えよう」シリーズの解説は本科の冊子に必要なのか?
昔のテキストについて
私は、もう15年近く前に日能研の「栄冠」クラスを卒業して、私立の中高一貫校に入りました。今で言うMクラスの出身です。
偏差値は4科平均で62くらいありました。
日能研の昔と今で異なっている所は勿論ありますし、同じ所もあります。
私の時代、現在のステージⅤや計算と漢字に値する本の雰囲気が全テキストにありました。
つまり、解説が一切なく、無駄のない問題のみの作りです。
ステージⅤを見ればわかりますが、算数のテキストとても薄いです。
全然解説がないからです。とても薄い(笑)
私は現在の「考えよう」シリーズよりも、基本と演習で出来ているステージⅤのほうが好きです。
日能研の本はただでさえ分厚いのだから、できるだけ薄い方が良いと思うのです。
でも、それは私が今で言うMクラスだったから、さほど解説を必要としなかったから、なのでしょうか。
昔のスタイル(現在のステージⅤと同じ)
- 算数の第14回などのタイトルの下に解説はなし問題のみ
- 「基本」と「演習」が同じページにあり、基本1の次は演習1だった
現在のスタイル
- 算数の第14回などのタイトルの次にその単元の解説がある
- 「考えよう」と大問は同じページにない。考えよう1の次は考えよう2
こう見ると、復習用の「演習」か大問が同じページにあるほうがいいのか、後ろにまとまっている方がいいのか、そういう利便上で違いがあるんでしょうかね?
わかりません。
日能研の「予習禁止」と、考えよう解説
教材を作っている人間と話したことは無いのでわかりませんが、そもそも現在の日能研では「予習禁止」が言い渡されている筈です。
昔は覚えてませんがそんなことなかったような気がします。まあいいでしょう。
それは置いておくとして、「予習禁止」なのであれば、「考えよう」の解説部分を掲載する意味はどこにあるのだろう、と。
予習禁止なのなら、復習用なのでしょうか?
家に帰ってきて、わからないときに読んで解く?、親が教えるときに読む?そのためにあるのでしょうか…?
昔から、社会理科はきちんと方法がかいてあって、むしろ本科テキストに問題ははいってなかったので、栄冠を解くことが必須でした。
そのきちんと方法を書く必要が算数にもできてしまったということなのでしょうか。
授業を受けても同じ問題を解くことができないから、本に説明を載せているのか?
普通は、先生が解き方を黒板で説明します。
それをノートに写しながら、なるほどなるほどと理解していきます。
予習禁止なのは、いきなり問題を解かせるのではなく、授業で先生がやり方を教えるから予習禁止なのです。
昔の場合は、本に解説が載ってないからちゃんと聞いて写さないといけなかった。緊張感があった。
逃した場合は、ノートコピー担当になっている子とかに頼んで見せてもらったり、隣の子に聞いたりした。
今は本に書いてあるから聞いてなくてもあとで本読めばいいやって思ってるヤツが絶対いる(個別で見るとそういう子がいる。特に男の子に多い!)
あとで復習するときのために♡な~んて載せてくれてるんでしょうか?わかりません。
授業ちゃんと受けてれば載せてなくてもノートを見れば平気なはずですし、
本を読んで理解できる子なら逆に授業で聞く必要もありません…!笑
ということはまさかこれが載っているのは、復習するときに本に説明が書いてないと保護者が教えられないから、なのでしょうか…?
うーん……
A2やA1レベルでよく聞きますが、
授業を受けてノートを取っているのに、理解できていない。
だから家で保護者が本を読んで説明してあげて理解させる必要がある。
しかし、本に載っている方法で学ぼうとしてもどうも時間がかかるし、あまりわかっていないようだ。
これの根本的原因はどうやったら解決できるんでしょうか?
…それが最初に話した、過不足算の図の話につながります。
彼や周りの人は、本科の解説に図で載っているから、
過不足算を図で解かなければいけないと思いこんでいた。
そこなのです。問題を解くことがメインで、図で解かなきゃいけないってことはなかったのに、です。
まとめ
さて、結局のところ、オチはこれに尽きます。
解説に載っている方法が全てだと思うな。
自分にしっくりくる方法で解け!
わかりやすくて簡単な方法や、解き方が掲載されていることに安心するあまり、
授業を真面目に聞かなかったり、人に質問しないで後で読み返せばいいやと思ったりすることが一番よくありません。
自分より何歩も先にいっている人に聞いて、教えてもらう。恥ずかしいことではありません。
できないことも、恥ずかしいことではありません。
できるようになるために質問しているのだ、そう言い聞かせて、できるようになるためのハングリー精神を鍛えることが大切だと思います。