今回は、
中学受験を6年生で諦めて、
第一志望の高校に推薦で受かったのに、
高1の1学期で中退した例
をお話しようと思います。
私が知っている色んなケースのなかでもかなりびっくりなケースです。
とても子供に甘い両親
他人の目から見てもとてもかわいい女の子でした。
一人っ子で、美少女です。
甘えん坊で、甘え上手。
両親はなんだかんだとても娘に甘かった。
あんなかわいい娘がいて、あんなに甘え上手で甘えん坊じゃあ、甘やかすのもわかります。
甘くなるのも仕方ないです。先生から見てもそう思うくらいでした。
お父さんは学校の先生のようでしたが、自分の娘には激甘でした。
国語が得意でしたが、理科などはやる気が出ません。
当然本人は「やりたくないーやだー」と言います。
そんな激甘の両親は、娘が「勉強したくない~」と言うのを見て、小6で中学受験をやめさせてあげました。
できない、をできる、にするまえに、
できないを味わいたくないという彼女の希望を叶える形になったのです。
周りは驚きましたが、本人も家族も良いと思っているのだからそれで良いということでその時は終了しました。
始まる高校受験の準備と意識の甘さ
中学生になって彼女と再会して、話を聞いてみると、高校受験をするのだと言います。
私はそのとき、受験を辞めたとしらなかったので、エッ?!日能研にいってたのじゃあ?!と驚きました。
彼女は高校受験の準備をするためにまた塾に通い始めましたが、
塾の先生が怒って何度も家に電話してはお母さんが謝るということがたくさん起きていました。
彼女は自分にも他人にも甘いので、
ツタヤに寄って授業に遅刻とか、
先生に個別で質問するのを予約した日をすっかり忘れていたとか…
なんというか、部活で疲れて家で寝ていたという私立中高一貫のみなさんによくある無断欠席理由(笑)とは違って、
自分で行動をして予定に遅れたり予定を忘れたりが多すぎました。
先生たちも何度も怒っていましたが、
本人もそのときは素直にゴメンナサイするものの、
またやらかします。
そしてまた素直にゴメンナサイするのです。
彼女は根はいい子なのです。
だから素直にゴメンナサイができます。
しかし、またやらかします。
でも悪いことだと思ったので素直にゴメンナサイをします。
それは本心だとみんな知っているから、またみんなが許して、またやらかします。
これを何年も繰り返していました。
お手上げになりかけた秋の始まり
色々あって、その子の学習計画に私が参画することになりました。
なぜなら公立の中学は、社会と理科が遅れて、受験までに範囲が終わらない可能性が高いからです。
これを先読みして、12月までに社会理科の予習の計画を立てるというのが今回私がやった仕事でした。
私には昔、その子と似た公立中学の生徒の学習計画を立てた経験があるからです。
今回私は案件を抱えすぎて忙しかったので、
もちろん学習計画は立てるし、その子との面談もしますが、実際の授業は他の先生たちに行ってもらうことになりました。
人(先生)を見ている=友達先生はナメる
面白いなと思ったのは、彼女には「人を見る目があった」というところです。
彼女の良さは、素直なのに加えて、人によって対応を変えることができる柔軟さを持ち合わせていたところでした。
そこが問題で、普通は先生との相性は楽しく話してワイワイしていれば良いと思われがちですけど、
ナメられていて言うことを聞かないのでは成績が伸びず、意味が無いのです。
私は大昔、若手社員にこう言ったことがあります。
「友達先生では成績は伸びない。相性を仲がいいかだけで判断してはいけない。成績が伸びなければ意味がない」
教室の業績には入会人数や退会人数だけでなく、成績上昇率も含まれています。
だから、仲がいいだけで組み合わせると、退会は阻止できますが、成績向上率があがらず、業績は伸びないのです。
まあそこは置いておいて、
彼女の場合は、友達先生とそうじゃない先生の判断が上手でした。
友達先生には
「えー!やだー、できないし~!無理ー!」「やりたくないーわがんないー」
と言いまくり、問題集も全然進みません。
しかし、ナメてはいけない先生と一緒に勉強すると、先生自体が優しくしても、
先生「眠いなら寝てもいいよ?5分たったら起こしてあげようか?」
彼女「ううん、頑張る。大丈夫」(問題をどんどん解く)
というようにするので問題集がどんどん進みます。
しかも、ナメてはいけない先生と勉強した範囲は数カ月たっても覚えていて、得点源になっていました。
ナメられている先生のことが嫌いなのかといえばそうではありません。
好きなのです。楽しく甘えているのです。
結局彼女の受験は、好きな甘えられる先生の授業で好き放題する時間と、ナメてはいけない先生でしっかりやる時間をうまく塾側が配分…
いや、塾側が他の生徒とのバランスを考えつつ
「かなり」頭を痛めながら配分して、
とても大変だったようです。
あの時計画に関わった人数はかなりの数でしたね、ほんと皆さんお疲れ様でした(届かないと思うけどねぎらい)。
いまいちやる気の出ない冬
彼女はいまいちやる気の出ない冬を迎えようとしていました。
なぜかというと、第一希望が定まっていませんでした。
なんとなくココにいきたいという気持ちはあるものの、それに本気ではありませんでした。
…結局またたくさんお話をして、彼女がどんな高校生活をしたいのかを聞いてみました。
ばりばり勉強するような学校はイヤだということはわかりましたし、
性格からして面倒見のいい学校が良いと思いました。
まあ、超甘えん坊なので、厳しい学校のほうがいいだろうという人もいましたけど、
甘えん坊だからギブアップしても困るんで、ちょっと甘くて楽しいほうが私はいいとおもったんですよね。
結局彼女は自分の意志で…ここが大事です。
自分の意志でちゃんといきたい高校を決めました。
そして、その学校には推薦でギリギリ受けられることもわかったので、
推薦(1月)→一般(2月)のダブル受験作戦をとることになりました。
…が!そのダブル受験作戦に
まさか作文が必要だと発覚したのは受験3週間前だと誰が予想することができたでしょう!
作文特訓3週間
こうして始まった、推薦のための作文特訓3週間。
これと別に、学校の方で面接の練習をしてくれることになりました。
作文は、私も関わって、いっぱい付き合いました。
え?もちろん私の担当の時間外です…当たり前じゃないですか…(遠い目)
たくさんの先生が協力してくれて、国語じゃない先生も関わって、
こっちのほうがいい表現じゃないか?など、ボランティアで赤ペンを入れてくれました。
(ああっブラックっていわないでください、みんな冬期講習ともなるとこういうことを自主的にやってて、ブラックなのはわかってるのです!><
ここで働かないことが大切なんじゃなくて、この時間にもお金を出すことが大事なんです…ほんとうは…!!!!)
ネタが浮かべばいいことをかけるようなので、ネタをどうひっぱりだして、どうもっていくのかを中心に教えました。
彼女はその作文の中で、自分がピアノを辞めてしまったことについて書いていました。
うまくできないと簡単に諦めて投げ出してしまう癖がついてしまっていた、
と自分でもわかっていて、ネタにしていました。
しかし、そこはいいのですが、後ろの部分がいまいち説得力がありません。
それで今度は何かを続けてみたいという薄っすらとした願望が含まれているのですが、
そこの内容が表面的過ぎました。
中身がなくて考えが具体的でないことがよくわかってしまう感じです。
……思えば、このあたりが入学後の様子の片鱗でもあったのかもしれませんね。
とりあえず、我々塾の先生としては、合格させなければならないわけですから、
この学校がどういう部活や文化祭に力を入れているかを調べて、
どういう活動を通して自分が継続して何かをやっていきたいという気持ちを書くようにしたらいいとアドバイスをして課題作文を作り上げました。
結果は合格でした。
地元の公立中学からの推薦という形で都立の第一志望に合格を勝ち取ったのです。
いいですか、覚えておいてください。
「中学からの推薦」というキーワード
が後に悲劇を引き起こします。
合格後は遊んで塾には来ず
まあまあ、よくあることです。
第一志望に受かったのだからそこはいいということにしましょう。
入学後、高校中退まで
夏ごろ、最後まで彼女の家族と熱心に連絡を取っていた先生がすごい顔で報告してくれました。
「一学期で中退したって」
…えっ。
私「いまなにしてるの…?」
他の先生「なんか、地元の、受験しなくてもいいくらいレベルが低い公立高校に編入したらしい…」
私「理由は…?!」
他の先生「学校の雰囲気が、入ってみたら合わなかったみたいよ…
しかもヤバイのが○○中学からの△△高校への推薦枠、今年からは無しになった」
私「!!推薦だったからか……」
そうなんです。
推薦っていうことは、その生徒がちゃんとした成績で通っていない場合、
その学校からの次の推薦は受け付けない形になりかねない。
つまり、自分だけの問題ではなく、後輩の枠まで潰すことになるのです。
他の先生「自分だけならともかく、後輩の未来まで潰すなよ……どうするんだよこれ……」
ええ、どうしようもないっす。
うーん……
このケースはそもそもなにをどうすればよかったのか?
結論から言うとどうしようもなかった、です。
塾は第一志望への合格を全面的にサポートし、合格させた。
中学も面接や推薦で全力でサポートした。
本人も入ろうと思って冬からだけど頑張った。
親も応援した。
そして合格して華やかに祝福されて塾を退会してしてから中退の事件が起きたので、塾も本部から叱責されるなどの痛い目にはあっていません。
……誰も悪くないんです。
ただ、入ってみたら合わなくて、辞めることになった。
それだけなのです。
でも、甘えて何かから逃げ続けてきた彼女には、
自分が本当にやる気を出して合格を勝ち取るという経験をしたということはとても重要で、
自信に繋がったことは間違いありません。
そして、彼女には自分が投げ出して別の道へ進んでも許してくれて受け止めてくれる両親がいました。
だから、この話は誰も悪くない、だれも不幸じゃないという終わり方をしたのです。
※次の年に推薦で△△高校を受けようと思っていた○○中学の後輩と、推薦を取り消された○○中学側が不幸ではある…
このケースから学べること
幼い頃から、子供の自信と自尊心を高めておくこと。
「楽しく諦めずに自ら挑戦して成長するバネを伸ばしておく必要がある」ということ。
これでしょう。
本人が課題作文で書いていたように、
出来るようになる前にちょっとできないといやで投げ出してしまっていた。
そしてそれを許してしまう甘い親がいた。
ここが根幹にあったと思うのです。
いやいや我慢して続ける忍耐力ではなくて、自分でやって乗り越えていく強さ。バネです。
いやいや我慢して続けていれば好きになるなんてそんなドMなこと、あまりありませんよ!
まあ世の中我慢してやらなきゃいけないこともありますけど。
その前に、好きで頑張ってできるようになりたいと思って、できたという成功体験を味わうよう育ててあげることが大切だと私は思いました。
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