まじめに努力すれば報われると思っていませんか?
私は以前の記事でも書きましたが、
「正しい方法で」まじめに努力すればある程度の結果は出ると思っています。
料理のレシピと同じです。ある程度再現はできると思います。
でも……正しくない方法だったら……??
今回は、正しくない勉強方法に嵌ってしまって勉強に支障が出ていた例を2つご紹介します!
例1 スペースに入らないから途中式を省略する癖
ひとつめは、日本人の美徳「もったいない精神」の弊害です。
あと、ぶっちゃけ、安い問題集や学校のワークによく見られる「安くするために余白を減らす」現象が一番の原因です。
公立の中学校の数学のワーク
ページ数や余白の都合上、途中式が入り切らないようなスペース配置になっていることが多々あります。
そういう時、ほとんどの子供はどうするか……
途中式を省略したり、文字を小さくしたりしてなんとか詰め込もうとします。
まずい入り切らないと思ったら消しゴムで全部消したりします。
これがいけません。
私がオススメするのは以下の方法です。
スペースはおさめるのではなく、増やせ!
- 入り切らないと気付いても消さない
- 白い紙やルーズリーフを半分くらいに切って、そこに続きを書く。
- 続きの紙をワークのそのページの横にテープで貼る
- 続き→ のように、ワークにも誘導を残す
こうすれば、貼った部分はワークの内側に折りたためるので、提出するときも支障がありません。
ここまでワークに対して努力した生徒を、入りきるように書きましょう、と指導する先生はアホです。
そんな人についていく必要はありません。
注意 テストのときのスペースは?
テストの記述スペースでも、文字数が決まっていない記述であれば、
よほどのことでないかぎり、はみ出して1.5倍くらい書いても採点してくれると思います。
実は解答用紙を作っている側は適当なことが多く、書く側のことを考えていないことも多いです。
スペースにおさめることより、自分の考えたことを全て表現することを考えましょう。
例2 「多読」や「とにかく数をこなす」指導を受けている
レベルの高い先生は、多読や数をこなすことを推す人が多いです。
中学入試の国語でもやられることが多いですね…。
ええ、多読や速読を行うのにはちゃんと理由があります。
多読の目指すもの
多読の目指すもの:いちいち和訳しないで読めるようにする
昔の日本人は、精読をして、なんでも一行一文ずつ和訳して読もうとしていました。
ですから、和訳せずに多読速読することで原文のまま読むことでスピードをあげようという意図が存在します。
多読の目指すもの2:沢山読むことで雰囲気をつかめるようにする
現代文と同じですね。こういう展開がよくあるよなというものを覚えさせようとしています。
多読の弊害
多読の弊害は、「丁寧に扱わないので、自分の理解が合っているのかを確認しないままその文章を終える」ところにあります。
例えば、どんな文章だった?と聞いて、アメリカの選挙についてだった、まではOKでも……
実際の設問で「上院と下院の選挙方法の違いについて、文中で述べられていることと合っているものを選びなさい」という問題が出てくると、間違えたりするのです。
つまり、雰囲気は掴んだけど、
それっぽいことが書いてあるところの訳をしてみると正しく訳せないので
点数に結びつかない。
でも、大体の場合、先生とかは「雰囲気がつかめてればオッケー!」みたいなことを言っちゃいます。ダメなんですけどね…
やる気になれば、真面目にやれば、しっかりミスなくやれば、
そこが訳せて正解できるはず!
という根拠もない自信に支えられているのです。
多読の大前提
大前提には、
精読した時そこを訳すことができる
精読すればそこを理解することができる
があります。
つまり、多読自体は間違っていないのですが、多読だけではなく一緒に精読もしなければいけません。
それなのに、多読やとにかく数をこなせばいいということを前面に押し出してしまうと、
沢山やっているのに成績が伸びないなあ、という悩みが湧くことになるのです。
さいごに
多読の所は私が学生のころの実体験です。
できる先生というものは、英文法や和訳ができる前提――
つまり正しく自分で勉強ができる前提で生徒に多読をすすめる傾向があります。
現代文や国語もそうです。
その話題が理解できる前提、論理が理解できる前提で多読をすすめます。
自分が勉強していて、なんか身になってる気がしないなあと思ったら、
先生や大人の言うことを疑って、細かいところにじっくり取り組んで見るのも良いと思います。
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