天才と才能と努力の違い

どこで読んだか忘れたのだが、天才と才能についての話をしたいと思う。

(この記事は2014年に書かれました。)

才能がある、とは?

ある人が弓を持っていて、的に向けて矢を射る。

矢が的に当たると、その人は「才能がある」ことになる。

目視できている的に正確に当てることが出来るのだから「才能がある」のである。

では天才とは?

天才は、「みえない的に当てる」のだという。

皆に見えている的に当てるのではない。

誰にも見えない的を見いだし――いや、実際の所、当たるまで本人にも見えていなかった可能性も少なくないが――、

とにかく、今まで誰もが知らなかった的を見いだして当てるのが天才なのだという。

 

すなわち、世の中が想定する理想の事象を成し遂げる者は「才能がある者」であり、天才ではない。

そして、世の中が想定しえなかった事象を引き起こした者が「天才」なのである。

 

ここまでは私がどこかで読んだ話だ。

天才と努力のカテゴリーの違い

では、努力は?努力は一体どこで生かされるのか。

よく、努力と天才は逆の所にあると思っている人が居る。

しかし、私はそうは思わない。

天才は努力しなくて出来る者を定義するわけでは無い。

上で述べた通り、一般人が思いつきもしない事象を引き起こした者が天才なのであり、努力とはカテゴリーが違う。

私が思うに、才能や能力は化石や宝石であり、土を落として磨かなければただの石。

そして、ただの石であっても削って磨いて輝かせれば宝石までとはいかないがそれなりの美しさを放つだろう。

だから、天才はより努力すれば上へ行けるし、凡人であっても努力すればある程度の所まではいけると思うのである。

人間の能力の増やし方

さて、話は変わるが。

人間の能力は、簡単に言えばおそらく、

1,遺伝的な能力
2,幼少期に身に付けた能力
3,後天的な能力(経験に由来するもの)

に分かれるのではないかと思う。

遺伝的能力

私個人の事で言えば、遺伝的な能力に相当するのは「絵を描く」「文章を書く」「何かを語る」「何かを演じる」であると思われる。

なぜなら、こういったことは誰かに教わった覚えも真似た覚えも無く、気付くと自分でやっていたからである。

幼稚園の先生が家庭訪問に来たときも黙々と落書きしていた記憶がある(5歳ごろ)。

ちなみに両親はこれらが全く得意ではないのだが、父の兄・母方の祖母・従姉妹などは得意であるしそういった職業についている。

幼少期に身に着けた能力

次に、幼少期に身に付けた能力について。

私個人の例であれば「音感」「空気を読む」「地図を読む」などである。

この項目はやはり親の教育に寄るところが大きい。

物心ついたときには既に家中に世界地図などが貼ってあった。

幼稚園の頃、ドラクエ3のアレフガルドの地図が攻略本に無かったので、父と一緒に地図を作った覚えがある。

音感はピアノのお陰だろう。

空気を読んで大人に合わせるのは一人っ子の得意技である。

そうでもしなければ、幼い子供は辛辣な大人の世界で生き残っていけない。

経験に由来する能力

最後に、経験に由来する能力について。

これは積み重ねた経験に由来するもので、後からどうにでもなるものだと思う。

私にとっては「水泳」や「教える技術」、「語学」「算術」などになる。

生まれついて持っていなかったし、小さい頃から叩き込まれたというより後から自分の努力で伸ばしたものである。

大人になっても増やせる・伸ばせる力は…

遺伝と幼少時に由来する能力は大人になって増やすことはできないが、

経験に由来する能力は大人になっても増やすことが出来る。

それとは別に、3つの能力はどれも、さらに努力により磨くことができると思う。

才能がないからと諦める人は、それに対する愛が足りなかったのだろうと思う。

下手の横好きと言うかも知れないが、それに対する愛があるならば、下手だろうがなんだろうがのめり込んで続けるだろう。

時には有能な他者の圧倒的な才覚を目にして絶望を感じることもある。

自分はもうだめだと思うこともあるだろう。

しかしそれでも続けてしまうのであれば自分とそれは切っても切り離せないものなのだ。

いいではないか、他人が何て言おうと、他者の評価より自分の喜びを優先すればよいではないか(ただし他人に迷惑を掛けない範囲で)。

才能がないと諦めた人は、才能を言い訳にしている。

才能がないからと諦めた人は”才能を言い訳にしている”のだと思う。

諦めることは容易い。

理由さえ揃えばいつでもやめられる。

だからこそ、自分の執念のスイッチの入れ方を覚えて、効果的に自分を使うのだ。

受験は、その練習に最適というだけだ。

2018年追記

才能とかいろんなことを言い訳に止めてしまったものは

いつでも始めることが出来ると思います。

「わたしはどうせ、できないから」

ここからはじまると、すべては「できないことの証明につかわれる」。

でも、できるからスタートしてみれば、すべてはできることの証明につかわれる。

難しいけれど、才能を言い訳にした人は、

「わたしはどうせ、才能がなくてできないから」

と思い込んでいないか、ノートに書き出してみると良いと思います。